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Sin Nombre 闇の列車、光の旅

メキシコから中米に移り住んでからも空いた時間を見つけては相変わらず映画を観ています。2009年もいろいろいい映画と出会いましたが、その中で強烈なインパクトを受けた作品Sin Nombreの2010年夏日本公開が決定し、それに先がけ2月10日セルバンテス文化センター東京にて『闇の列車、光の旅』<日本における移民・難民問題を考えるシンポジウム付特別試写会>がこの映画の監督であるキャリー・ジョージ・フクナガを迎え開催されました。
sin nombre

この映画は2009年サンダンス映画祭監督賞、撮影監督賞を受賞、そして低予算インディーズ映画を対象とした賞の中で最も権威のあるインディペンデント・スピリッツ賞を作品賞、監督賞、撮影賞の3部門受賞したことや、ガエル・ガルシア、ディエゴ・ルナを製作総指揮に迎えた作品と言うことで注目を浴びていると思いますが、中米の現実を痛いほどリアルに描いたロードムービーとしてぜひ多くの方に観てもらいたい作品です。

アメリカから強制送還された父とその弟と共により豊かな生活を求めてホンジュラスからアメリカを目指すSayraは不法入国を目的とした人達がひしめき合う列車の上でギャングの一員であるCasperと出会うことから映画は大きく展開して行きます。この映画では二つの大きな中米の現実を描いていますが、その一つがアメリカへの不法入国、もうひとつはこの映画にもMara Salvatrucha(MS-13)として登場するギャングスターの存在。
Mara Salvaturucha(MS-13)は対抗勢力であるDiesiocho(18)とともにMarasと呼ばれ、エルサルバドル、ホンジュラス、グアテマラを中心にメキシコ、アメリカにもその勢力を伸ばしています。

メキシコに移り住む前、私はアメリカ・ARIZONA州の第二の都市であるTUCSONに住んでいました。一度バスでメキシコへ旅行し、TUCSONに再びバスで戻ったのですが、その時急にバスが止まったかと思うとすぐそばに座っていた男性が2名ほど猛スピードで後部座席、トイレに駆け込むのを唖然として眺めたことがあったのですが、もちろんこれは不法入国者のチェックで、この2人は連行されていきました。それが、私の中での不法入国にまつわる鮮烈な始めの出会いでした。
その後、メキシコに移り住んだ訳ですが、それまではアメリカから南のメキシコを眺めていたのが、今度は国境の南からアメリカと言う国を眺めることになりました。しかしながらこの問題は単にアメリカとメキシコという構図だけにおさまるものではなく、中米諸国からアメリカを目指す者にとってはメキシコもまた「北」の一部であることを直視せざる状況であることを実感しました。その時のことはここに書いていますが、メキシコ北部のTIJUANAはアメリカとの国境の街であり、ここでアメリカ入国の機会をうかがっているメキシコ人が多数いて、時としてそのまま長期で滞在する人もいます。それと同じようにメキシコのグアテマラ国境付近には南のTIJUANAといわれる街が存在しています。
『闇の列車、光の旅』においてもホンジュラスなど中米からアメリカを目指す人々がメキシコに入国し北上していく過程が描かれていますが、
中米へ移り住み、今度は中米からメキシコを眺めるとそこにはメキシコで見た北と南の縮図が同じようにメキシコと中米の間に存在していることを実感します。

アメリカからメキシコへ移り、そして今度は中米の小国に移り住んだ私は図らずもこの映画とは逆のルートでここへ流れ着いたわけですが、もちろん、私はこの映画で描かれている人々のような大変な状況にいるわけではないのですが、それでもこの映画で描かれていることの痛みは十分に伝わってきます。
この映画では列車が舞台ですが、私が実際にみた不法入国者は中米からメキシコへ入国し、徒歩でひたすら北を目指す人達で、一体どのくらい歩けば彼らの目指す地にたどり着けるのか、そんなことを考えてみたものの、想像もつかない距離と時間のように思えました。

映画の中で描かれたもうひとつの大きな社会問題はMarasの問題です。現在私の居住する国はまさにこのMarasの問題が人々の生活に大きな暗い影を落としています。例えばメキシコにしてもNarcoの問題がありますが、Narcoは一般市民の生活とはある意味別世界に住む人々なので、市民生活に直接の影響はあまりないと言えますが、Marasの場合はまさに一般市民、それも低所得層の生活に強く結びついています。Marasに関しては既にここでも書いていますので、まずそちらをご覧ください。

話は少しそれますが、現在の居住国に暮らしていると本当に「死」を身近に感じますし、同時に人間の命の価値というものは一体どれくらいあるのだろうか、と考えることがあります。例えば先日首都から1時間ちょっとの地方都市へ出張に行っていたのですが、その道中、たった1時間の間に2件の死亡事件・事故を目撃しました。ひとつは薪を運んでいた子供が車に轢かれたと言うもの、もうひとつはバスでの射殺事件。後者の方はもちろんMaras絡み。Marasはバスの運転手やCobrador(料金徴収係)に対しRentaと呼ばれるみかじめ料(いわゆるショバ代)を要求しますが、拒否すればこのケースのように見せしめに射殺されます。運転手やCobradorでなくても乗っているだけでMarasにお金を要求されることも多々あります。仕事で地方の警察署に行ったことがあるのですが、地方にもそして田舎にもMarasはいるので、Marasを担当している人のお話なんてそれはもう、それだけでドキュメンタリーができるのではないかと言うほど鮮烈です。私が聞き取りをした人の中の一人はMarasとの抗争で銃弾が目に当たり、片目を失明しているのですが、確か6人ほど射殺されたその抗争でのやり取りをどこか楽しそうに、興奮気味に話してくれたのが印象に残っています。
そんな世界を垣間見つつ、時々車でZona MareraといわれるMarasの活動エリアを通過したりする生活を送っているとこの映画の中の出来事が映画以上の現実として重くのしかかってきます。

個人的には映画の邦題は原題(Sin Nombre 名もなき人)のままのほうが良かったと思います。それはこの映画で起きていることは特別ではなく、多くの人の身に起きていることで、その誰かがこの世からいなくなってもまた次の誰かに降りかかっていると言う意味でSin Nombreの方がよりしっくり来ると思います。

この映画が日本でどう受け止められるのかわかりませんが、キャリー・ジョージ・フクナガ監督が前述の<日本における移民・難民問題を考えるシンポジウム付特別試写会>でコメントしたとおり「この作品は問題についての回答にはなっていないが、自分以外の他人の人生がどういうものかをしってもらいたい」と私も思います。

闇の列車、光の旅公式サイト
http://www.yami-hikari.com/
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テーマ メキシコ    ジャンル 海外情報



 

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