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A LA MEXICANA

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"PELÍCURAS 映画" posts

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メキシカンドリームに関する考察。

気づくとけっこうこのブログで映画を紹介していますが、これだけメキシコ映画にほぼ限定して紹介している日本人のブログはかなり稀だと思いますが、さらにほかのブログでは取り上げられることがなさそうな映画を引き続き紹介していこうと思います。
と、言うわけで今回ご紹介するのは2010年のメキシコのアカデミー賞にあたるアリエル賞で最優秀助演男優賞、衣装など4部門受賞したConozca La Cabeza de Juan Pérez
Juan Perez

見た目からしてチープと言うかB級感が漂っている感じがかなりしますが、実際に観て見るとこれがかなりするどく計算されたB級感だとわかります。サーカスを舞台にメキシカンドリームとでも呼ぶべき夢をつかもうとする人々とその背後にはこの映画の象徴であるギロチンに現されているとおり、失敗すれば深い闇に突き落とされてしまう、そんな社会とメキシコの人々の生きる日々が垣間見れる映画であると思います。それはまさにこの映画の監督であるEmilio Portesが"Conozca la cabeza de Juan Pérez", metáfora de los sueños cercenados en el contexto latinoamericanoとコメントしているとおりだといえます。

さて、ストーリーは以下のとおり。
しがないマジシャンであるJuan Pérezは不景気で観客の減ってしまったサーカスを首になるのを阻止するため、大掛かりなマジックを考案する。それはギロチンを使ったマジックだったが、予算不足でギロチンが作れなかったため博物館から16世紀にフランスで使われていた本物のギロチンを盗み出し、マジックをすることになった。これがJuan Pérezとその周囲の人々を巻き込んでとんでもない結果に・・・。

・・・ネタバレ以前に、映画を見始めてすぐにわかることなので書いてしまうとこのマジックのせいでJuan Pérezは首を跳ね飛ばされてしまいます。映画はその跳ね飛ばされたJuan Perezの頭部がなんでこんなことになってしまったのかを回想するところから始まります。

この映画はEmilio Portesが16世紀のフランスでのギロチンを使った処刑に関するエピソードを読んでいたとき「跳ね飛ばされた頭はまだものを考えることができる」と知ったことから作られた映画なのですが、ギロチンはメキシコ人の深層心理の中に「失敗すればもう後はない」象徴として存在していることをうまく映画としてまとめていると思います。
Narcoが敵対する人物を殺害したときに斬首するのも上記メキシコ人の深層心理とつながっているように思います。

ギロチン、斬首なんて言葉を聞くとなんだか残虐な感じがしますが、上出来なメキシコ人特有の痛烈な風刺コメディーに仕上がっています。特にラストは痛烈で、個人的に気に入ってます。

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01
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MÉXICO 2010...NADA que Celebrar

もう9月ですが、9月といえばメキシコでは9月16日の独立記念日がることからEl Mes de la Patria(祖国月間)と言って9月は町中がメキシコ国旗の3色(赤・白・緑)でデコレーションされ、メキシコ人もメキシコ国旗をモチーフにしたものを身につけたりとお祝いムードがかなり高まります。
ましてや今年は独立200周年、メキシコ革命100周年にあたるため、今年の独立記念日はかなり派手に祝われることとなっています。そんな中、9月3日に公開される問題作El Infiernoをご紹介したいと思います。

この映画はここで既に紹介しているLa Ley de Los Herodesの監督であるLuis Estradaの作品で、La Ley de los Herodes(1999)はメキシコの政治システム(Sistema Político)に関する映画であり、その次に発表されたUn Mundo Maravilloso(2006)がメキシコの経済システム(Sistema Económico)に関する映画だったわけですが、今回のEl Infiernoはその両システムの「結果(Consecuencia)」であると言えます。
つまりそれはメキシコが抱えるNarco(マフィア)の問題を取り上げ、メキシコの過去約30年に遡る両システム(政治・経済)の歪みがNarco問題と言う社会システム(Sistema Social)に集約されることを描いている映画であると言えるのではないでしょうか。
ちなみに、Un Mundo Maravillosoに関してはこのブログでも取り上げようと思いつつそのままになってしまっていますが、この映画は私の好きな映画であり、自分の専門が貧困問題ときっても切れない関係にあることから、非常に興味深く、メキシコ(あるいはラテンアメリカ)における貧困問題に関して改めて考えさせられた映画でもありました。
La Ley de los Herodes、Un Mundo Maravilloso、El InfiernoはLuis Estradaの3部作といえると思いますが、それは単に同じ監督が一定のテーマの下製作したというだけでなく、出演している俳優陣もまさにチームとでも言えるほど一体化しているところですが、この3部作全てで主演を演じるDamián Alcázarはこのブログでも既に紹介していますが、メキシコを代表する俳優の一人で、個人的にも、そしてLuis Estradaが絶賛するとおりメキシコでもっとも素晴らしい俳優だと思います。ほかにはDaniel Giménez CachoやErnesto Gómez Cruz など名優がずらりと脇を固めます。

そのほかにも3部作全てに共通するのは強烈なブラックユーモアと痛烈な風刺。メキシコを知らない方にはわかりにくい内容ではあるのですが、個人的にはLuis Estradaのブラックユーモアはとにもかくにもメキシコ的で笑いながらもやがて悲しきメキシコを感じます。

El Infierno・・この独立記念を祝う9月にあえて公開をぶつけてきたその真意を映画を観ながらじっくり感じとっていただきたいですし、ぜひ、この機会にLuis Estrada3部作をすべて見られる事をお勧めしたいと思います。

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ベンハミンの女

今回もまた映画の話。(と言っても前回からずいぶん時間が空いてしまいましたが)
今回はちょっと古い映画なのですが、個人的には古さをまったく感じない映画のひとつです。
この映画ここでも紹介したEl Traspatioやここで紹介したEl Crimen de Padre Amaroの監督でもあるCarlos Carreraが28歳の時の監督作品です。
la mujer de benjamin
この作品に惚れ込んだ翻訳家である間宮敏彦氏が自主配給で日本公開されたというのに驚きました。私もいつかそんな粋なことをしてみたいもんです。
Carlos Carreraの描く世界は非常にメキシコ的な世界で、特にメキシコやラテンアメリカに興味やかかわりのない方には少し理解しにくいように思いますが、このLa Mujer de Benjamínもこれまたメキシコだなぁ、と見終わった特に思いました。個人的にはこの映画に描かれる一見非日常的な世界がメキシコではそれほど非日常でもなく、どことなく切なく、それでいて俗世的であったりするところが好きだったりします。なんと言うか、映画から漂う「メキシコ臭」とでも言うようなものになんとも惹かれてしまいます。それがCarlos Carreraの映画の魅力のように思います。El Traspatioにしろ、El Crimen de Padre Amaroにしろ、同様に表現の仕方はそれぞれかなり異なるのですが、根底にあるのは[メキシコ性(Mexicanidad)]とでも呼ぶべきもののように思います。ただ、繰り返しますが、人によってはそのメキシコ臭ゆえに、受け入れられない部分もあるのかもしれません。

以前El Traspatioを観た日本人の方の批評を読んであまりにも自分との解釈が異なることに新鮮さを覚えたことがあります。もちろん映画の受け取り方や批評は人それぞれなので自分と解釈が異なることを批判したいわけでは全くないのですが、なぜそれだけ解釈がことなるのか、ということを考えるのが好きだったりします。また誰かの批評を読むと言うのはその人の「世界観」を知ることが出来るので自分とは違うその「世界観」を知ることも必要な作業のように思います。
上記映画の批評において私自身の批評と大きく異なる点は「描写があまりにも短絡的、極端で、リアリティを感じない」という点だったのですが、「リアリティ」と言うのは結局は自分の生活や体験の中から感じるものであり、自分の知らないこと、体験したことのないものには人間、共感できないものなのだと思います。たとえ映画の舞台であるメキシコに生活していても人それぞれの生活はひとつの世界であり、そしてそれが別世界であれば、メキシコに生活していても、前述の「メキシコ臭」を嗅ぐ事もなく離れた世界で時間を過ごしているに過ぎないのではないかと思います。
ただ、反面だからこそ、映画を通して別の人の視点で世の中を眺めることって意義があるように思います。

さて、ベンハミンの女ですが、映画のお話ですが、冴えない50代の独身男Benjamínは、田舎の小さな村に姉のMicaelaと2人暮らし。特に仕事をするわけでもなく、仲間達と気ままに過ごす生活をしていたがある日教会のミサで美しい少女
Natividadを見かけ、一目ぼれをしてします。何とか彼女に気持ちを伝えたいBenjamínは手紙を書いて渡そうとするもうまく行かず。
Natividadは母親と2人暮らしで、生活は貧しく、厳しい母親から、そして村から抜け出すことを望んでいるところに出会ったトラック運転手のLonardoに惹かれ、彼に会うため家を抜け出したNatividadをさらってしまうBenjamín。
最初は激しく抵抗したNatividadでしたが、BenjamínとNatividad、そしてMicaelaの奇妙な共同生活が展開していくことに。

Natividadの中に見る少女の美しさとその裏側のある意味大人よりも俗世的なアンバランスが妙にメキシコ的描き方のように思います。つまりCarlos Carreraの作品で描く「メキシコ性」とは神聖なものの中に潜む俗悪性であり、それは結局ひとつの人間性であり、人間であるが故の「性」であると言うことのように思います。

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